里と湖のポレポレ時間~

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本出版しました!

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本を自費出版しました。
その本、『「はしら雲」震災と女川の人たち』の編集を担当したのが、KAMEの翼のチームメンバーであり、アゴラ子ども美術工場の卒業生の市川君です。そして若者・市川君の巣立ちが始まりました!おばちゃん先生は、エッセイストとして、学生だった市川君は編集者として第一歩を踏み出しました。今思いが形になりました。
是非、この本を読んでください。

 〜出版にあたって〜

2011年3月11日、東日本大震災が日本を襲いました。
地震、津波、原発事故・・・こんなに衝撃的な出来事が私たちの目の前に起きました。そしてKAMEの翼プロジェクトチームは、支援に動き出しました。支援場所を被災地・女川と決め、2011年に5回、2012年1回女川へ行きました。
そこで出会った方々の声は、私たちにとって衝撃的な事実でした。テレビ、新聞等で伝えられないあのときの思いを知ってほしい・・・そんな気持ちからこの『「はしら雲」 震災と女川の人たち」』を執筆しました。挿絵をたくさん入れて子どもたちにもわかりやすく伝えようとした本です。語り継ぐ大事な歴史の一部として記憶に残していただけましたら幸いです。 

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1冊  1200円
お問い合わせ:自立舎 
℡:0537−27−1428 メール:agoraart@thn.ne.jp


「はしら雲」は自費出版のため印刷部数が限られていますので、本屋等には置いていません。
購入に際には、自立舎に電話もしくは、メールでお問い合わせください。
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by agorakodomo | 2013-02-18 08:29 | 伝えたいこと

影絵劇

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影絵は毎年恒例のアゴラの冬の行事。
アゴラでは11月から先生が子どもたちへ伝えます。
「さあ〜影絵をするので、お話書いてみないか?」と。
毎年誰かがその話にのってお話作りをするんだけれど、今年は先生は事故で倒れていて、アゴラ復帰が12月という事で、その段取りがうまく行かず・・・そして話を書く!って子がいなくて・・・
急遽、おばちゃん先生が書く事となった。
お話ね〜・・・と考えながら、大人である私は、なかなか空想の世界は生まれず、結局アゴラについてお話を書く事にした。
「ドングリ山と生き物とアゴラ」
アゴラが出来て17年。いろんな事がありました。
里山という自然いっぱいの千羽と言う村。そこは、たいへん静かでのどかな村でした。
キジ、野うさぎ、うぐいす、カワセミ、様々な動物たちが行き交うところでした。
子どもたちも好奇心いっぱいで、先生にいろんな質問をしました。
もぐらをとるために2時間ずっとモグラの穴の前で待ち伏せしていたアゴラの子どもたち。
そしてその子どもたちは「先生!モグラを飼いたい!」と言い出します。
先生は、動物園に電話して飼い方を聞きました。
「モグラは縦、横、高さ5メートル×5メートル×5メートルの場所に土を入れたら飼えます。」とのことでした。そんな事は無理だということで、あきらめました。
が、そんな自然に好奇心をくすぐる子どもたちがいっぱいアゴラにはいたんだそうです。
17年の間には、山が無くなり、道が出来ました。獣道が変わりました。風も変わり、強い風がアゴラに吹き付けるようになりました。台風被害でか木の実がならなくなりました。
獣の被害も増えました。
そんな出来事の中で、アゴラの先生と子どもたちが動き出した事・・・それが昨年植えたドングリ。
ドングリ山の再生です。
今年、植えたドングリは双葉、本葉を出して芽吹いています。
いろんな木も植えました。さてこの先このアゴラはどうなるのでしょうか?
その事を私がお話にしてみました。
その話を聞いて、子どもたちは、「これ本当の話?」って聞きました。
先生は「ほとんど本当だよ!」って言いました。
子どもたちは「へ〜!そうなんだ〜♩」って口々に言いながら、登場する動物を作り始めました。
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僕はワシ!僕はカマキリ!私はうぐいす!私は蝶々!私は・・・・・・・・
子どもたちは自分の作りたい動物や人間、アゴラの家、山、木々、車・・・を上手に作りました。
切り絵の作品で、描いた絵に切り抜きして影でものを表現します。
どれもすごく上手です。
みんな何度も台本を読んで、アゴラにいる動物や虫たちを表現します。
小学5年のT君は「トンボもいるよ!アゴラには、ショウジョウバッタもいるよ!って追加の登場物を言います。
「だったら作ってみて!そしてトンボやバッタの台詞も考えて!」って促しました。
「うん!わかったよ!」ってT君は言いました。
木が難しいと言いつつも、その木をうまく表現する子、中学生の子どもたちも作品作りに加わりリアルな登場物がプラスされ、影絵の作品は大変欲張りなものとなりました。
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さて影絵劇の練習です。
監督の小学6年生のAちゃんはお話をちゃんと把握してみんなに指示していきます。
ナレーションを担当しながらの監督仕事はすごいです。
その指示を聞きながら、妹の小学1年のYちゃんは、たくさんの影絵の作品を探して動かしたり、照明を暗くしたりと…頑張っています。
小学3年のMちゃんとMちゃんは双子さん。
双子さんと言いつつ、顔も違うしやる事も違うんだけど、この影絵では、人形を動かすのが妹のMちゃん、そして台詞がお姉ちゃんのMちゃん。
なんてバランスいいんだろうと感心しました。
その上を行くのが6年生のお姉ちゃんMちゃんです。
Mちゃんは、台詞いいよ♩っていろんな登場人物の担当をしてくれます。
さすが6年生!
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影絵を作り出したのは正月あけの1月半ば。そして影絵を作った者を会わせ稽古する時間は、アゴラがある時だけで、三回ほどしかありません。また、今回の影絵は全クラスのみんなでやる事に決めたので、みんな合わせて練習する時間は当日しかありません。
だからみんながどの登場人物にも対応できるように練習しました。
あるときは二人で劇の練習をしました。
でも子どもたちはなぜかすごいのです。なにがすごいって、アゴラの事を知り尽くしているので、登場人物や話がちゃんと頭に入っています。
すごい!すごい!すごいのです!
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そして劇の前日と当日にはこの影絵のチケット作りをしました。
チケットっていっても・・とみんな戸惑っていましたが、「チケットって映画のチケット見た事あるでしょう?みんながこの映画みたい!って思うような感じで描いて下さいよ、家のお母さんやお父さんたちが是非来たいよ!って思うチケットを作ってね!」っていうと・・・
「あ〜!わかるわかる!知ってる!うんうん♩」って手作りチケットを渡す人を想像しながら描いていました。
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2月10日午後五時から子どもたちは集まりました。
あいにくインフルエンザや家の用で来れない子がいました。
またの機会を作ろうね〜。
休んだ子の役を埋め合わせ、分担しました。
子どもたちは「私がやる!」とそれぞれが意思を表明してくれました。
すごいな〜この協力性って。
そして初めて通し稽古を始めました。
小学6年のH君は、先生が倒れてからずっと休んでいました。来たのはこの日の前の週に一度だけ。
H君には舞台装置をお願いしました。いわゆる大道具というか、風景を担当してもらいます。
それが理解力抜群!ちゃんと場面場面に合わせてセッティングしていくのです。
が・・・通し稽古は少しギクシャクしていました。
そして次第に家の方がアゴラにやってきました。
アゴラの教室はたくさんの観客で埋まりました。
すると・・・小学3年のH君は「おなかすいたよ!もう駄目だよ〜〜」って声が消えそうな雰囲気です。
私はとっさにH君の口にチョコを入れました。
H君は「ありがとう」ってぼそっと言いました。

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「これから影絵劇を始めます」6年生のAちゃんが挨拶をして影絵劇は始まりました。「ホ〜ホケキョ、ホ〜ホケキョ・・・」小学Mちゃんのうぐいすが動きだし、そのMちゃんのお姉ちゃんのMちゃんが台詞を言いました。
順調に動物、虫、鳥、人間が動き出します。
話も半ばにさしかかりました。
さ〜、小学3年生のH君の出番です。ブルトーザー役のH君は大変不安定になっていました。
後ろから抱き寄せて舞台の近くまで連れて行きました。
「・・・」H君の声は小さくて「ゴーゴーゴー」と私がH君の腕を持って一緒に言いました。
H君は「ゴーゴーゴー、ガーガーガー」とそれにつられて演技します。
あるときは、6年のAちゃんが「風、次は虫だよ・・・」って小声で指示し、促されながら演技がつながりました。
そんな事がありましたが、ちゃんと劇を演じ終えました。
すごかった!ほんとうにみんな通し稽古1回でこんなに上手に演じれてすごかったです。
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みんな劇を終了し、舞台袖で挨拶をしました。
アゴラの先生は、9月に事故に遭い、いろんな経験をした事、皆様に支えられた事など・・・その事を親御さん達に伝えました。
そしてそこにいる子どもたちがどのようにこの影絵を表現し、今に至ったかを伝えました。
あるお父さんは涙を流していました。
前に並んでいる子ども達は今までに見た事もない緊張と自信と満足感に包まれたいい顔をしていました。
いつもアゴラで軽くふざける小学3年生のH君もすごくいい顔をしていました。
私も自然に顔がほころびました♩
そしてみんなで最後は先生が作った豚汁を食べて少し会話を楽しみました。
普段は送り迎えだけの家の方ですが、今日は、和やかに先生と会話をし、いい時間を過ごしました。
本当にみんなご苦労様、そしてすごく良かったよ!
アゴラの先輩の中高生の子どもたちもちゃんと観客席で小学生を見守っていましたよ。
小学1年のMちゃん、Yちゃん、ほんとうによく頑張ってね♩
で・・・アゴラの先生が言いました。Hはすごく緊張していたんだね!普段はユニークなHなんだけれど、緊張したんだろうな〜H、よく頑張ったよ。チョコがちょっとホッとしたんだね。
今までにない試みの影絵でした。
先生が復帰して、アゴラを描き、それを子どもたちが力を合わせて演技しました。
何かを思うという優しさで出来た劇だったと思います。
おつかれさまでした。そして皆様ありがとうございました。
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ps:この日、光のアーティストの高橋匡太さんがアゴラの子どもたちの影絵を見に来てくれました。
京都からわざわざ新幹線で駆けつけてくださいました。
高橋さんは2月下旬には、越後妻有でまた雪の花の表現を大々的にされます。
今年で3回目になります。
忙しいスケジュールをさいてアゴラに来てくださって本当にありがとうございました、高橋さん♩





アゴラ
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by agorakodomo | 2013-02-11 15:32 | 子供達のこと

個性

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アゴラにはさまざまな子どもさんが来ている。
いろんな個性を持っている。
世間では近年個性という言葉を重要視している傾向にある。
「世界で一つだけの花」という歌でいろんな子がいていいんだよって、なんとなく大人も感じた事だろう。
が、本当に個性ってどういう感じで理解しているのか・・・
個性って言う言葉は、いわゆる公立学校の範囲の中で、それぞれの性格、それぞれの特性を大事にしようと言っているような大変曖昧なニアンスで「個性」という言葉を受け止められている。
アゴラの先生の意識の幅は、そのアベレージ(標準)的な幅での「個性」で捉えていない。
人間という幅の中で「個性」というものを捉えている。
人とちがう事が、世間では、「おかしいの?」とか「障害?」とか言われて、線引きをして社会は何となく自分とはちがうものを排除して成り立たそうとしているように思う。
人とちがうものを排除するとよく似た集団が出来る。
するとそのよく似た集団からは、より違いは際立ち、「おかしいの?」って言うレッテルを貼られる傾向がある、この社会は・・・。e0253482_22193839.jpg
集団意識をもつことで、みな同じであると安心し、自分がちがうと言われる事を恐れ、標準を保つ。
それが得に日本という国の特性。
個性は生まれてきた時既に持っていたものかも知れない。
個性は自分という者を形成する遺伝子の中に組み込まれている何かかも知れない。
人は生まれ、両親やその子を取り巻く環境により、自分そのものにいろんなものが加わっていく。
特にこの社会では、個性をちゃんと見ないで、親やその周りの環境の価値基準で子どもたちを作り替えていってしまう。
個性ってものをひどい時には消し去ってしまう。
障害という枠をもって線引きしているこの社会は、福祉が充実したいい社会になったというのだろうが、本当のところ、見えなくしているだけで、他との違いをより鮮明にしているようだ。
「ちがう」というものが見えれば、その「ちがい」を排除し、摩擦を防ぎ、均一な社会を目指す今の社会には個性の尊重は無いに等しい。
障害という言葉で人は区別して、「ちがう」を個性として見ない。
ちがうものは、自分と合い交えない事だと線引きして社会を形成しうる今の社会。
ちなみに、中学のいじめ問題はその「ちがい」をすごくいびつに表に出た状況である。
アゴラの先生は、社会の中にいろんな子が存在する事を欲している。
でないと、社会は排他的になって、利己的な冷たい物質的社会となるだろうと、感じている。
社会は生きている。
人間という生き物が存在しているわけだから、ちゃんと息づく人の往来があり、認め合う関係性が成り立つ事が安心できる社会だという。
例えば、自閉という診断を下された子どもが、私たちが想像する以外の行動をした時、「ちがう」ということで、線引きするのではなく、この子はどういう視点をもって何処を見て、どういう思考をし、どう物事を捉え、どう表現しているのか、・・・その事をじっくり子どもと向き合い関わる。
この子は「ちがう」からっていうことで大目に見たり、いいわいいわする訳でもなく、逆に犬のしつけのように叱咤して叱るのではない。
どんな子にも駄目な理由をちゃんと伝え、同じように接する。それでも理解できなく、同じ事が繰り返される時も、続けて向き合い、ちゃんと伝える。e0253482_2220953.jpg
そしてその子の持つ個性をちゃんとその子に伝える。「〇〇がいいよ」って。
確かに違いを認める事って大変難しい事だし、人は自分とちがう事を「恐怖」する習性がある。
それは、今までの歴史の中で成り立たせてきた権力者が行った思想統制からくるもので、代々から伝わる悪しき習性である。
「世界で一つだけの花」で伝えられた事を、もうそろそろ実践していくべきである。
違いは個性であり、その個性があなたであり、そのあなたは、生まれてきた時に持ち合わせていた大事なものなんだとちゃんと伝える先生でなのある。
アゴラっていろんなすごい子がいるコミュニティー。
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by agorakodomo | 2013-02-11 12:10 | 伝えたいこと

合格おめでとう!

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うれしい知らせが舞い込んできた。
アゴラ子ども美術工場に通う○君の高校合格の電話だった。
「合格しました!」
○君は、たいへんやさしい子どもさんだ。
私に修学旅行のお土産に交通安全のお守りを買ってきてくれた。
アゴラの先生が事故で倒れた時、すごく心配して病院に何度か来てくれた。e0253482_7564339.jpg
身体中傷だらけの先生の手を持って自分の頬にあてて「痛いね〜痛いね〜」って同調していた。
時には身体をさすり、時には手紙をかき、花を持ってきてくれた。
小学1年生からアゴラに通い、アゴラが大事な場所だった。
その○君もそろそろステージが切り替わる時となった。
今子どもたちの状況はどうなっているのか知っていますか?
就学時検診、保健所等での成長発達の検診は、正常を見るだけでなく、少しでも異常が見つかったら、養護学校へ通うように進められる。たとえ小学校へ行く事になったとしても、中学、高校と区切りごとでその都度行政や学校は養護学校を進められる。
養護学校が悪い訳ではない。養護学校へ行けばもっと優しく子どもたちに接してくれる先生がいて、その先生もたくさんいて、その子の様子に応じて対応してくれる。
優しい社会になったよね!と一般的にはそう思ってしまう。
しかし少しでも障害だと言われた子と親はどんな気持ちでいると思いますか?
養護学校へいった子どもたちは、いずれ作業所等に就職していきます。
決まりきった道が用意されています。
それが自立だというように。
その事を世間は知っていますか?
私たちは平等に自由を持つ権利が許されています。
生まれながらにして・・・。
でもほんとうに自由ってどういう事なのか・・・
養護学校へ行った子どもたちの就職、進学ってどういう広がりがあるのかと考えた事がありますか?
普通中学、高校へ行った子どもたちに夢を持て!といわれていても、養護学校へ行った子どもたちへ同じように大人は夢を持て!自由に生きろ!って思っているのでしょうか?
学校進学はたいへん大きな壁となります。
社会が作った道に載せる事があたかもいいように思えるのですが、その大なり小なり障害という言葉で区切られた子どもたちにとってその道は、決められた、固定された、限局された道であるように思うのです。
幼稚園の時に、話さないから発達障害だと宣告された。自閉症だし、みんなと同じように成長は出来ないよと宣告された。ちがうな〜この子は。。。
そんな事を言われた子や親たちはどんな気持ちで日々を過ごしているのでしょうか。
誰がどんな権限でその子の未来を予言するのでしょうか。
障害がある子どもたちに対して、ちがうという目を持ってその子を見る。
おおめに見る・・・そういう感じで社会は動いているような気がします。
だから将来の夢に対してもある程度でいい…そんな感じで制限して子どもたちを見ているような気がします。
でもちがうんだ!ということを私はアゴラ子ども美術工場で知りました。
アゴラ子ども美術工場には、16年間いろんな子がいました。
東大、京大、国立大学等へ行った子、染色関係へ行った子、大学で歴史を学び編集者を夢見途中の子、美大へ行った子、様々です。
いわゆる優秀という子たちもいます。障害と言われた子どももいます。
でもその障害は、いつしか障害ではなくなり、その子の大事な個性であり、その子の持つ可能性へと変わります。
その子たちを変化させていくことは、何か・・・
それはその子を大事に思うこと。その子の可能性を信じる事。その子の道を決めない事。そして変化を見落とさないこと。その子の表現をたとえ小さなものであっても認める事。そしてその子を優しく包む事。
そうやってこられた先生の様子を見てきました。
先生のやってこられた事は、目立つ事ではありません。子どもだましのようなちんけな物だと捨てられる物も拾って大事にする事って、この社会のスピードや重要視される事の中には、意味のない物だと言われてしまう事でしょう。
合理主義の社会にとってはとくに・・・
消されてしまうアナログの世界がアゴラ子ども美術工場にはいっぱいあります。
でもアナログの世界の中にこそ、子どもたちが生き生きと自分から生まれる表現を形にしていきます。安心する場所から可能性は生まれるのです。
お母さんのおなかの中、羊水に包まれていた頃、私たち大人も子どもたちもみんな多分安心していたはずです。
あなたがいいよ、大事だよってみんな思っていたはずです。
そしてこの心地よさを知っているはずです。
その心地よさが社会の中では、消えていってしまうのです。
区別という枠で・・・
みんな同じ土俵の上でそれぞれの子どもたちの成長を見届けたい!
あなたの存在は無限大!
主婦という区切りをもらった大人の私でさえも、個として自分のやる事を認められる事って大変うれしく、そこに存在意義を感じるものです。
大人になった私たちは、いやというほど感じているはずです、区別される事を・・・。
その大人が今の子どもたちの可能性を見ないでどうするのか・・・。
区別せず、存在意義をみんなが同じように感じられたなら、この社会はもう少し、居心地よくなるのかもしれません。
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「明日大丈夫かな?」ってずっと心配していた○君。
大好きなワンピースもお預けだった○君。
心配する○君に私は、ずっと鞄の中に持ち歩いていたアベンチュリーというクリスタルを手渡した。
○君の手にそっと置いて、○君がクリスタルを握る手を私の両手で包んだ。
「大丈夫、大丈夫!安心しなね。拝んどいたる。大丈夫。大丈夫。」
何が大丈夫かわからずとも、「大丈夫」と唱え、○君に微笑む。
帰り際、アゴラの先生は○君を大きくハグした。そして「大丈夫だ。大丈夫だ、○」と頭をなでた。
○君は、「ありがとう」っていって帰っていった。
次の日の午後・・・
「先生!高校合格!」○君からの電話あり。
本当に良かった。4月からまた○君の新しい挑戦が始まる。
守られた空間からまた新しい学校の先生や生徒との交わり、電車で通い、今までとはちがう社会を歩く。
そこにちゃんと優しさが存在していることを願い、アゴラで○君の笑顔を心待ちにしていよう。
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by agorakodomo | 2013-02-05 07:55 | 子供達のこと