アゴラ子ども美術工場って不思議な場所だ。
自然いっぱいの里。古民家。造形素材がいっぱいあって・・・
よくあるお絵かき教室とか美術教室ではない。
だってよくある教室は、うまく描けるように描き方を教える教室だったり、なんとなく美大を出た人が先生となって工作などをさせるような教室だ。
私も子育てをしながら、いろんな子育てをしている人に出会った。
特に医者の子供や、いわゆる学があるといわれる方の子どもさんは、習い事がすごい。
その習い事の一貫として情緒を育ませるために、何かのたしなみのためにお絵かき教室、美術教室に習わせることも多くない。
子供が絵で賞をとるために、少しでも上手になるために・・・
いろんな親の思惑がある。
確かに子を思っての習い事だけれど・・・
子供に習い事をさせることは、情操教育の上では大事で、いつかこの子が困らないようにとか、いろんなことを小さい時に習わせていたら、何かきっと大人になって役にたつだろうとか・・・
いまや大人も資格の時代だから・・・そんな親御さんが多いのではないだろうか?
それ以外に子育てのための教育観・・・シュタイナー教育・・・何とか教育・・・そのことに意識した親御さんたちが、自然と親しむ機会を持たせるために自然と親しめる場所を探す。
ほんとうにその習い事や教育を受けたら、子供達とって良いことなのだろうか?
いろんな習い事や教育を受けたからって、うまく生きていくってわけではないことは、我々親やその教育を受けた子供達を見ても分かるだろう。
させすぎる詰め込む受動的な習い事や教育は、子供から主体性を失わせてしまう。
主体性を失った子供は、好奇心をなくし、創造することができなくなるような気がする。
本当に生きていくうえで大事なことは、ワクワクして夢を持ち続け、心から楽しんでいる状態・・・好奇心があるかどうかである。
実はその感覚を、子供達は、誰に学ぶでもなく、生まれつき持ち合えあせているものだ。
子供は本能で感じ取る。
生きるために何が楽しく、何が危険で、何が怖いのか・・・
その本能が基盤となって好奇心が育まれ、自分を表現することが出来る。
その本能をこどもはもともと持ち合わせているのに、その本能的感覚を取り除いてしまっていることに気付いていますか?
最近の親、学校の先生も、地域の人も子供達から危険を取り除く作業を率先して行う。
刃物を持たさない、床をフラットにする・・・などなど。
最近の子供は反応しなくなった、何もできなくなった・・・などとよく聞くが、これは何者でもない、我々大人たちのせいだ。
守ることの意味を本当に間違えてはいけない。
大人が芽を摘んでいるような気がする。
それぞれ家庭によって教育方針は様々だろうが、子供にとって子供の時代はほんとうに大事である。
大人になるための通過点ではなく、子供の時代の育まれた感覚が今後の自分を形成する核となる。
そのことをアゴラの先生は教えてくれる。
2時間から3時間の時間中で、何も操作しない環境の中で、ひとりひとりの自らの動を待ち続ける。
そして先生は見守る。
ひとりひとりとしっかり向き合う。
子供達がたくさんいても、以下同文みたいな反応は決してしない。
やさしく、見守る。
あなたがここにいる存在価値を子供とて感じ取って尊重する。
そういう先生ってどれだけこの世界にいるんだろうと考えたことがありませんか?
そんな先生の近くで子供は安心して自分を出し始める。
子供の本当の表現は安心感を感じたところから始まるのだ。
そしてあえて危険を感じとることをここでは教えている。
危険を知ることで子供は、知恵を自ら獲得し、動き出す。
このアゴラ子ども美術工場は、子供の本能を刺激する大事な場所だと思うのです。
本能を刺激するって言うことは、自分が何者であるか?・・・何が好きで、何が嫌いか、・・・その表現をする根源だと思います。
付け足しの習い事と、もとあるものを大事にして育むことの違いがここにあるのだと思います。